2011年7月19日 (火)

変えよう!ニッポン8号 丸岡同志よ 安らかに眠れ

変えよう!ニッポン
丸岡同志よ 安らかに眠れ
(「連帯ニュースレター」改題8号)

                    2011‘6・15 ムーブメント連帯

世界に広がる「大変動」の砂嵐
パレスチナ人児童への拷問レポート
「暴行、睡眠妨害、独房などの人道に反する非道徳なやり方で子供に拷問を行っている」。イスラエル刑務所に収監されているパレスチナ人児童に拷問が行われていることを「パレスチナの捕虜問題研究所」が5月19日、声明で明らかにした。
現在、パレスチナ人全体では1万2千人がイスラエル刑務所に収監され、うち245人が児童だ。児童が肉体と精神に打撃を受ける扱いを受けている。
パレスチナ人児童は、2000年以降、1335人がイスラエル軍によって殺害されている。国連人権高等弁務官事務所の報告によれば、このうち14人は、自宅前で遊んでいと時に殺されている。(「イランラジオ」5・20)。

「イスラエル建国」に世界同時抗議運動起きる
パレスチナ占領63周年の5月15日、世界各地で同時抗議行動が起きた。シオニスト本国・米国ではニューヨーク、マイアミでデモがあり、ホワイトハウス前では、パレスチナ国旗、「占領反対」のプラカードを持った抗議行動が行われ、反シオニズムのユダヤ教ラビ達もデモに参加した。ホワイトハウス前では、3日にも反戦デモが行われている。
カナダではバンクーバーで抗議デモ。ロンドンではイスラエル大使館前に数百人が集まり抗議した。この他、トルコ、エジプト、ヨルダンでもイスラエルの占領抗議デモが行われた(ロイター5・16)。

バハレーン民衆デモにサウジ軍が銃撃
反政府民衆デモ鎮圧にサウジアラビア軍が介入しているバハレーンの首都マナマで5月13日、ハリファ政権に抗議する民衆デモ隊に治安部隊とサウジ軍が実弾を使用、多数の死者、怪我人が病院に運び込まれている。地方では、武装ヘリ「アパッチ」がデモ鎮圧に出動した。
2月14日以来、デモに参加した石油省労働者300人が解雇されている。治安部隊は病院内に押し入り、デモ参加の怪我人だけでなく、治療にあたっていた医師、看護師も大量に連行している。5月3日には、治安部隊に激しい暴行を加えられたジャワード・フィールーズ元議員が病院で死亡している。米英メデイアは、リビア、シリアでのデモ弾圧を大きく扱うが、米海軍拠点基地があるバハレーン政府の民衆虐殺の実情は、あまり伝えられていない(「イランラジオ」5・14)。

エジプトでモサド工作員逮捕
ガザ国境を再び封鎖したエジプトで、イスラエル在外諜報機関「モサド」の工作員ラン・グラペルが逮捕された。
“エジプト革命の妨害が目的”とされ、半官紙『アル・アハラム』には、イスラエルの軍服を着用したグラペルの写真が掲載された。グラペルは20代の時にイスラエルから米国に移住。2006年の第二次レバノン戦争で従軍し負傷していた。(「フォーリャ・デ・サンパウロ」6・13付)。
エジプトでは、ムバラク政権時代の07年4月、核情報収集目的のモサドが逮捕されている。訴追されたモサド要員の一人は原子力庁に勤務する香港在住の日本人技術者「イズ・シロウ」(35)。イズは“エジプトの実験用原子炉の情報収集”の報酬として1万7千ドルを受け取っていた、といわれる。

スペインで青年運動「5月15日運動」が全国で広場占拠
昨年から貧困などに抗議する民衆による対政府デモが全土で起きているスペインに、アラブ大変動の風が加わっている。
5月15日以降、スペイン各都市で数千人の青年が“政治と社会の民主化”を要求して「エジプト・タハリール広場」を模して、広場の占拠を行っている。
5月15日から始まったため「5月15日運動(M15)」と呼ばれている。
北東部の州都バルセロナでは5月27日、「M15」の青年たち数百人が、自治政府庁に近い旧市街カタルニア広場を占拠。暴力的にごぼう抜きする機動隊によって121人が怪我を負った(EFE・TV5・27)。
6月9日には、中東部の州都バレンシアの地方議会に突入しようとした青年約300人と治安部隊が衝突。5人が逮捕、18人が負傷した。青年たちは、議会近くの広場に1週間座り込みを続けていた。逮捕に抗議した市民2000人が街頭で抗議。3人が釈放された。青年に同調する市民たちは7000人に膨れ上がり、機動隊によって封鎖された市議会周辺を埋め尽くした(「エル・パイス」6・10付)。
中部の首都マドリードでは、プエルタ・デル・ソル広場に1ヵ月にわたって座り込みが続けられ、6月13日には数千人が深夜から月曜早朝まで市内デモを行い、広場から撤収した(ロイター6・13)。

バングラデシュで反改憲ゼネスト突入
憲法改正に反対するゼネストに突入しているバングラデシュで、ゼネスト2日目の6月13日、デモ隊が車両を焼くなどして警官隊と衝突した。
ゼネストを主導しているのは、野党第1党の「バングラデシュ民族党(BNP)」と同盟するイスラム主義団体「ジャマート・イ・イスラミ」(「インデイア・タイムス」6・14付)。

インド毛派ゲリラが軍事攻勢、警官15人死亡
インド中部デカン高原東部の森林地帯「赤い領土(赤色解放区)」で毛沢東主義ゲリラが対政府攻撃を強めている。チャテイスガル州ナラヤンカー地方で6月9日、5人の警官が襲撃を受け殺害された。翌10日には、同州ダンテグダ地方で治安部隊に護衛された政府役人の車両2台が攻撃を受け、警官10人が死亡、役人3人が負傷した。誘導地雷で護衛車両が空中に吹き飛び、その後、自動小銃による攻撃があった。
先月にも警官7人が殺害されている。毛派ゲリラは軍事訓練場も増え、活発化している、といわれる(「インデイア・タイムス」6・10付)。

チリ先住民が86日間の獄中ハンスト中止
“公正な裁判”を要求して獄中でハンストを決行していたチリ先住民ナテイビダッド・ランケーロら4人が8日、司祭の要請を受けて、86日間のハンストを中止した。ランケーロらはビクトリア病院に移された。ランケーロたちは、上司と農民を攻撃した、として「反テロ法」で25年の刑を受け14年間獄中に拘束されている(「フォーリャ・デ・サンパウロ」6・10付)。

チリで環境保護ヌードサイクリスト7人逮捕
世界各国で環境保護を訴え裸で自転車に乗り市中を走る「ワールド・ネーキッド・バイク・ライド」の世界同時裸行動が6月11日行われた。
石油依存と自動車利用に裸で抗議するイベントがチリの首都サンチャゴでも初めて行われ200人が参加した。裸の抗議者たちは住宅街を抜け、イタリア中央広場で7人が逮捕された。南米では、サンパウロ、メキシコシテイでもヌードバイクが走った(「フォーリャ・デ・サンパウロ」6・12付)。

キューバ、ベネズエラ協力プログラム調印
訪問先のキューバの首都ハバナで緊急手術を受けたベネズエラのヒューゴ・チャベス大統領をフィデル、ラウル・カストロ両首脳が見舞った。
「最良の処置が施され、手術前よりよくなっている」とチャベス大統領の声を『グランマ』が伝えた。
また同行していた政府高官によって両国政府の協力プログラムが検討され、130万ドル以上の協定を承認した。
両国関係に対して米シオニスト誌『ニューズウイーク』(09‘10・14号)は、「チャベスとカストロを分断せよ」とニューヨーク大学ホルヘ・カスタニェダ教授の分断戦術を掲載している。
「キューバの軍事組織なしにチャベス政権が生き残るのも難しいといえる。それでもキューバへの制裁解除をすれば、ベネズエラとの間にくさびを打ち込むことができる」(同上)。
パレスチナで米国が行っているファタハを懐柔しハマスをまず潰す2段階戦術を南米でも行え、との提言だ。

コロンビア革命軍防衛責任者殺害される
コロンビア国軍が3日、コロンビア革命軍(FARC)司令官の防衛責任者アリソロ・ロハス・ボカネグラを暗殺した。4日、国軍が声明した。
殺害場所は、FARC解放区のトリマ州の軍事訓練キャンプ。国軍声明直後にサントス大統領は「大きな打撃を与えた」とコメントを発表した。
ロハスの組織名は「エル・アベロ」。同志間では「おじさん」の愛称で呼ばれていた。23年間、FARCの軍事部門で活動していた。
FARCは昨年9月22日、コロンビア南部の解放区シエラ・デラ・マカレナの森林内軍事基地で軍司令官のジュリオ・スアレス(組織名モノ・ホホイ)を米・イスラエル軍事顧問団によって殺害されている。
翌10月、資金活動をしていたスペイン国内で、治安当局に複数の州で41人が逮捕される。これでヨーロッパ地域の資金網が破壊された。スペインは、「バスク祖国と自由(ETA)」とFARCの共闘を追っている。
11月15日には、エクアドル国境近くの農村イビアレスにある軍事基地が空爆されゲリラ13人が戦死。
さらに今年1月20日、FARC「第21戦線」の指揮官ルイス・フェルナンド・メンドーゼ・ロペス(組織名ディデエール)がトリマ州都で他の2人のメンバーと共に国軍に殺害される。
FARC側も9月にベネズエラ国境沿いサンタンデール州北部でテレビ塔、発電塔2ヵ所を自動車爆弾で爆破。11月にはナリノ州リラナダ村で右翼民兵2人に爆弾攻撃。カウカ州ジャンバロ村とトリビオ村で軍警1人殲滅、5人を負傷させていた。
FARCは昨年中盤までは、各戦線で攻勢に出ていたが、米・イスラエル軍事顧問団による「対テロ情報戦」で、居場所を突き止められ、ハイテク攻撃と盗聴、サイバー戦などで後退戦を強いられている。もう1つの左翼革命軍事組織でキューバ派の「民衆解放軍(ELN)」が支援に乗り出している、といわれる。
(文責)小林 忍

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2011年6月27日 (月)

丸岡同志人民葬メッセージ 

丸岡同志追悼メッセージ

                 2011‘6月19日  ムーブメント連帯

関西(6・19)と東京(6・25)の「同志虐殺抗議集会」に結集されたすべての同志、友人のみなさん。
5・29丸岡修同志虐殺に、未だ悲しみに包まれながらも、それを上回る怒りがあることを、まず確認したい。
10年以上にわたり、苦痛と治療を訴え続けてきた丸岡同志を獄死させた当局の意図は明確だ。2度にわたる同志奪還闘争など「超法規的処置」を取らざるをえなくされた政府・司法当局の面子にかけた報復であり、日本赤軍の闘いを葬るための「恐怖の見せしめ」だ。現在、国内獄中には5人の同志たちが囚われているが、そのいずれをとっても通常判決をはるかに超えた重刑に処されている。対権力闘争そのものへの「国家テロ」は、我々に限らず連合赤軍、東アジア反日武装戦線、革共同中核派など闘う左翼全体に対して為されている。すでに永田洋子さん、田中義三さんが獄中病死に追いやられている。
リッダ戦士以来、我々は8名の貴重な同志を失ってきた。日高敏彦同志に続き、2人目の同志虐殺に満腔の怒りを覚える。しかし、反撃の権利を今は「留保」する。獄中同志たちの命を守り、3人目の犠牲者を出さないためにこそ全力を尽くさなければならない。
丸岡同志を苦痛に追いやったのは、司法権力だけではない。日本赤軍の解体、不団結のしわ寄せを獄中同志たちがもっとも受けてきた。中でも同志間の「団結」を追求し続けてきた丸岡同志を悲しませ、苦しめてきた一義の責任は、獄外の我々にある。
同志の獄外治療のために、政治的立場が異なる人たちも動いてくれた。逆の立場で異なる立場の政治囚なら我々は動いたのか。「民主主義の徹底」の闘いの重要な柱として獄中人権問題をどこまで捉えて来たのかを自問しなければならない。

同志たちの団結にこそ腐心してきた丸岡同志の意思を継ぐことを「虐殺抗議」の内実として、ここに宣言する。「再団結」を目指す活動を再開する、それが同志の死に報いる我々がとりえるべき道だ。
 さらに付け加えなければならない。
“おとしまえに時効はない”と。

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2011年6月23日 (木)

「丸岡同志追悼」 岡本公三同志


丸岡修同志追悼    
                   2011年6月12日 岡本公三

丸岡修同志の死に際して、深い悲しみの意を表したいと思います。
丸岡同志とは三九年前にベイルートで別れて以来、二度会ったきりですが、よく頑張っているようで安心していました。
丸岡同志が逮捕されて刑務所暮しを余儀なくされたことは、風の便りで知りました。
その後、刑務所で風邪を引いてこじらせ、渋滞になったことも聞き及んでいました。
今回、丸岡同志が刑務所内で死亡してしまった事は、残念でなりません。
三九年前にベイルートで別れたことを今でもありありと思い出します。
ここに、深い悲しみの意を表して終わりにします。

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「丸岡同志の殺害糾弾」  ライラ・ハリド同志


同志や友人の皆さんへ
我がパレスチナ人民と私自身の立場で、皆さんと丸岡修同志の家族に弔意を表明します。
私たちは、丸岡同志を殺した健二を糾弾します。なぜなら、獄中で治療を施さずに彼を死に至らしめたからです。
私たちパレスチナ人は、特にイスラエルの刑務所内では、人権を無視するイスラエルの同様な政策に虐げられています。
イスラエルは、あらゆる人権を妨害する仕方で獄中者の権利を侵害しています。
長年の獄中生活で病んでいた我が同志丸岡を失ったことは、本当に哀しいことです。
ここに、皆さんへの、私の心からの弔意を表明します。
                                      同志として  ライラ・ハリッド

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丸岡同志追悼メッセージ 重信房子同志

丸岡同志!

呼びかけただけでまた涙があふれてきます。リッダ闘争で闘った戦士たち、パレスチナの戦士たちの姿と重ねながら、丸岡同志の壮烈な戦死をかみしめています。

日本赤軍のかつての闘いに対し、検察権力はすさまじい報復を同志に科しました。東拘の誤診にはじまり、医療刑務所では対処できない病状の同志法で保障されている外部専門施設での治療申請を拒み、まさに「死刑」として同志を殺しました。また八王子医療刑務所では、検察の指示か施設の判断か、親族すら看取ることもできなかったとは、重篤な病者にたいする何と非道な措置だったのでしょうか。その中で、同志は壮烈な戦死を遂げたと思わざるをえません。勝利の中であるいは敗北の中で戦死した多くの戦友の一人として、またもっとも身近な同志として、同志に感謝と連帯をこめて永別の思いを送ります。

丸岡同志 同志と共に歩んできた70年代の楽しく、また苦しかった闘いが次々と思い出されます。私が初めて同志に会ったのは72年5月、リッダ闘争前のベイルートでしたね。ジャカランダが咲き、ベカー高原が花畑のように色とりどりの野の草花を咲かせる季節でした。作戦に出発する同志たちと引き継ぎや小さな宴を終えて、同志は作戦の翌日ベイルートを発って帰国の途につきました。それはバーシム奥平と約束したように、作戦が成功したら翌日に帰国し、日本の社会の中にパルチザン部隊を育てる役目を負っていたからです。しかし、同志がベイルートからスイスに到着したところで、「リッダ作戦第四の男OSAMU・MARUOKA」として、突然クローズアップされてしまいました。帰国の途上にあった同志は、気を鎮めながらアルプスの方角に向かいどうすべきか考えたと言っていましたね。そしてリッダ戦士たちと訓練中記念にお守りとしていた石のかけらを山に向かって投げると、静かに澄みわたった空が、雷鳴と共に突如曇りだしたと言っていましたね。「あれはバーシムたちのはげましだ」と。

「日本革命に貢献したい」という第一の希望を持ちながら、事態を分析するために同志は潜伏しアラブに戻って来ました。あの8月どうすべきか語りあかしましたね。しかし9月にミュンヘンオリンピックがパレスチナゲリラに攻撃された直後、日本の公安当局は何の証拠もなしに、丸岡同志を「国際指名手配」としました。その結果、帰国の希望を持ちながら、パレスチナアラブの地を起点とする闘いへと自らの役割を定めたのです。リッダ戦士たちを思い、パレスチナ・日本の人民と闘いを思い、「闘いたい!」という義理と人情と同志愛がはげしく同志を突き動かしていたのを、私は知っています。丸岡同志21歳の秋のことです。

そして同志と共に、一握りの仲間とアラブ赤軍を育て日本赤軍を結成し、パレスチナや世界各地の友人たちと闘ってきました。当時のイスラエルの今も続く無差別テロや暗殺攻撃に対して、そうした攻防からパレスチナの闘いにも人民性に欠けた闘いもありました。パレスチナの闘いを範としつつ、私たちも人民性の欠けた闘い方もありました。その後、私たちは、70年代の闘い方を反省し自己批判しつつ再生をめざしました。そうした70年代の闘いの中でも、常に人民愛同志愛を基礎に、人民性ある闘いを求めて同志は先頭で闘いつづけました。ある時には、革命と同志を守るために敢然と拷問に耐え、ある時には危険をも顧みずに仲間を救出しました。またある時には、その地で仲間と共に逮捕されながら日本赤軍の原則を語り、「アラブ人同士の内紛には介入関与しない」という立場を訴えながら釈放させたばかりか説得して、当局者の協力をかちとったこともありました。PFLPからは一番の射撃の名手と訓練中賞賛されたこともあります。加えて子供たちとのエピソードや笑ってしまう失敗談など、愛すべき同志の数々の姿が浮かびます。

70年代を経て、ベイルートまでイスラエルが侵略した最中も、敵陣の東ベイルートと味方の西を結んで闘いました。そして陣型陣地再編の80年代。フィリピン・アジアから日本へと、フィリピンの同志たちと築いていた活動の途上、87年11月22日、帰国した日本で逮捕されてしまいました。同志の逮捕を知ったアラブ戦場で、私たち仲間もパレスチナの同志も、心情としてはどれほど「奪還闘争」を願ったことでしょう。しかし決して人民を楯にするような戦術の闘いはしないと、もう私たち自身がきっぱりと精算していました。丸岡同志、あなたもまたそのことを何度も公然と語り、自分への奪還闘争はありえないことを示し、獄中で新しい仲間と友情を結びながら生き闘い続けました。21歳で出合い共に闘い始めて、37歳で獄中での闘いを余儀なくされて以来、60歳の還暦を越えて2011年の5月29日、リッダ闘争のあった5・30前日に戦死しました。

丸岡同志! 共に悩み、つくりあげてきた日本赤軍が、自己批判の中から歩いた80年代以降の路線を同志のことばで語り続けてくれましたね。「人が人らしく人として共に生きられる人間の国を!」と。そしてそうした変革に参加する主体として、死ぬまで自らをふりかえり、過ちや公判でのあり方を正しながらすすみました。そして、これから「ダッカ闘争」を具体的に書き記す準備もしていました。同志は決して安逸を許さず、過ちのままにしたくないと、自らを率直にとらえ返す誠実さを持ち続けました。あのリッダ戦士たちの誓いのように。丸岡同志、同志のそうした姿が同志愛を深め、団結を育て、「敗北を勝利の土台へ!」と、全員が結束してすすむ私たちの隊伍を育ててきました。世界の友と結び合い、助け合い、強大な敵に立ち向かい、どの仲間も真剣で誠実、楽天的だった「日本赤軍」を今も、私は誇りとして、同志を思い返しています。

「地獄でまた革命をやろう」と旅立ったバーシム奥平やサラーハ安田、オリード山田、「日本赤軍に居ることが人生の幸せ」と言いつつ闘い拷問の中で戦死した日高同志、「土地の日」パレスチナに連帯して決死したユセフ檜森、そしてまた多くのパレスチナの世界の戦友たち。同志は彼岸で仲間たちと再会し、闘う人々に彼岸からエールを送っているにちがいありません。そしてまた、親孝行の機会を失したご両親に詫びながら境涯を語っているでしょうか。仲間や友人たちは、同志愛に満ちた丸岡同志の気配りの数々を感謝と共に心に刻んでいます。

丸岡同志、百メートルと離れていない1棟向こうの病棟で過ごしなから、同施設収容者について一切書けないという規則の中で、同志が仙台に居た時よりも何も書けなくなっていました。でも、いつも同志は身近に在りました。今も「おはよう!」と呼びかけてしまいます。遅かれ早かれ彼岸での再会の機会があります。それまでは、どんなに微力でもこうべをあげて、闘い変革を求める隊伍の一人として、私も生きつづけます。脱原発、米軍基地もいらない九条日本の「人間の国」をめざして。

仲間たち友人たち 葬列を再び闘いの祭に!

  永別の君に手向ける花もなく心を込めて歌うインターナショナル

                             6月7日記 房子

 

 

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2011年6月13日 (月)

丸岡同志東京追悼会案内

皆さま、

下記のように、「丸岡修さんを追悼する会」を行います。
多くの方々が集まっていただけるよう、よろしくお願い致します。

 日時:6月25日 午後5時から午後7時半
 会場:日本キリスト教会館 4階会議室A,B
    新宿区西早稲田2-3-18 
 資料代:500円+カンパα

 添付は、丸岡さんの「夢と希望」号外です。

多くの方々に丸岡さんへの思いを語っていただきたいと思っています。
さらに、検察庁、八王子医療刑務所への責任追求について、考えを述べたいと思
います。

「6.25実行委員会」中川

Nakagawa Takashi

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「丸岡同志追悼」映画監督・足立正生

丸岡修同志追悼「あなたの夢と希望は決して死なない」   
                                                                        
                                 告別の時に 足立正生

五月二九日朝八時二一分、「苦しい」との叫びも止めて、彼は絶命したという。
いや、彼は、東京高検と医療刑務所と名のついた煉獄所長に殺されたのだ。
もともと検察官たちは「絶対に生きたまま外には出さない」と彼を面罵し、刑務所を
拷問部屋として利用して虐待を続けてきたからである。
その最たる要は、彼が病死するように仕向けられた二四年間の獄中での闘病生活
が証明している。最初は誤診で肺炎を悪化させられ、そこから始まった諸病は慢性
心不全にまで進められ、最後には拡張型心筋症での重篤症状におとしめられた。
刑務所外部でしか施療できない事態におかれ、刑務所側は治療放棄を続けた。
まさに刑務所内の劣悪医療制度に苦しめられながら、彼は必死に生き抜く闘いを
強いられ続けた。
それでも、今年四月までは、面会の度に、酸素吸入管をはずして苦しさに耐えつつ、
「まだ死ねない。外での仕事がたまっているから、必ず生きて出る」と力強く語っていた。
それが、五月になると重篤情況が更に進み、もう面会室にも出て来れなくなって、
看守が「またの機会に!」と彼が走り書きしたメモを届けに来た。その大書された文字
を見つめていると、彼の生への執念の強さが、いや、革命家としての誇りと魂の
ほとばしりがありありと読み取れた。
何度でも繰り返すが、彼は検察と法務官僚に二〇年以上かけて虐殺されたのだ。
その理由は、彼が日本赤軍の戦士として、一九七〇年代に二度にわたるハイジャック
闘争を成功させた。その闘争で、当時の政府や国家権力の体現者を名乗る官僚たち
に「超法規的な措置」を取らせて獄中の仲間たちの奪還に成功した。だから、権力者
たちは、当時から現今にまで代を次いで丸岡修への懲罰実行に怨念を燃やし続け、
遂には未必の故意による「超法規的殺人」を実行したのだ。大阪特捜検事の不様な
実態が暴露されて明らかになったように、権力の体現者たちは、特に、検察庁は、面子
と高級取りに汲々とした烏合の衆で、正義とは全く無縁の低劣な権力欲の集団でしか
ない。これが国家の暴力装置の中枢に居座っているのだから、丸岡修へ悪鬼の如く
襲い掛かったのだ。
しかし、丸岡修の肉体を殺すことが出来ても、彼が「私には夢がある、希望がある、
そして遣り残した仕事がある」(遺書のように残された詩)と思う、革命家としての夢と希望
を育み続けた魂は、決して何人にも殺されはしない。その夢の中身である「人が人として
生きれる人々の生活を作り出す」という仕事は、いくら悪鬼が乱舞しても、いつまでも、
私たちの中で引き継がれて生き続けて行くだろう。

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重信房子同志の530メッセージ

リッダ闘争39年目を迎えて 

5月8日記   重信房子

 

 リッダ闘争から39年目のナクバの5月を迎えています。

 今燃えあがるアラブ民衆蜂起の系譜を辿り、リッダ闘争の熱い民衆の声を思い返しています。

 39年前、リッダ闘争の時代のパレスチナアラブ戦場は、「パレスチナ解放! 人民戦争によってパレスチナ全土解放を!」、「イスラエルの国家テロを許すな!」と、民衆の憤怒と連帯に湧きたっていました。

 パレスチナの住民の参加も決定権もなしに「決定された」「パレスチナ分割」の1947年。それからイルグン、ハガナらのユダヤ人シオニストのテロ機関によって虐殺・追放されたパレスチナの人びと。67年には米国の支援によって一方的にパレスチナ全土を強奪・占領したイスラエルは、シリア領ゴラン高原・エジプト領シナイ半島をも奪ったのです。

 もはや国連やアラブ諸国政府を頼っていては自らの家族の命も故郷も守ることはできない、自らの運命を自らの力できり拓きパレスチナ祖国を解放するのだ! 67年の戦争を直視し、パレスチナ解放勢力は自らを組織し、「PLO」パレスチナ解放機構を変革しました。そして武装闘争を最良の闘争形態と規定し、人民戦争戦略によってパレスチナ全土を解放すると宣言しました。占領されたパレスチナを囲む国境地帯からのゲリラ戦の闘いに加えて、国際遊撃戦としてイスラエル・シオニズムに対する闘いを採用しました。

 リッダ闘争もまたそうした闘いの一角として担われました。

 こうした闘いは、長い間、反植民地闘争を闘いぬいてきた民衆の圧倒的支持支援につらなる闘いであったのです。「イスラエル建国」は、アラブ民衆にはとうてい受け入れることのできない不正義であり、反イスラエルを立場として政権もまた対峙してきました。

 しかしイスラエルとの戦争の継続はアラブの豊かな歴史と文化にもとづく建国を困難にし、「軍事国家」として軍人が建国のヘゲモニーを持たざるをえず、ことにきびしい地下戦争は対スパイ治安・安全保障第一の国づくりとして、軍人指導部の特権が育つ構造が深まりました。当時の冷戦下、イスラエルと反ソ反共同盟下にある米国と対峙したソ連東欧は、アラブ諸国を武器・情報で支援し友好を結びました。それはまたボルシェヴィキ型の一党独裁権力による政権維持を育てるきっかけにもなりました。

 アラブの民衆は、「イスラエル建国」によって不当な状況にあるパレスチナ解放を支援しつつ、しかし「反イスラエル」の名において政治的自由を抑圧する自国の軍事政権の改善を求めてきました。リッダ闘争に対して国家・民衆一体となって熱狂的に支持した姿は、公正なパレスチナの解決に向けて闘う限り民衆も政府も一つになってすすむ力を持っている姿でした。こうした闘いを経て74年、パレスチナは国際社会に正当なパレスチナ建国主体として認められていきました。

 あのリッダ闘争から39年、パレスチナ指導部を含むアラブの諸政権は、反イスラエルの闘いよりも、ことにソ連東欧崩壊後の困難の中で「政権維持」を優先し、民衆の要求を抑圧してきました。ある国では、かつて自分たちが倒した王様のように人民の富を独占し、再配分を民衆に返そうとしませんでした。民衆の怒りは臨界状態にあったといえるでしょう。

 イスラエル・アメリカは反体制勢力を自らの利益のために支援し、親米政権勢力の拡大に向けて国際機関を動員して民衆蜂起に介入しています。とくにイランやシリアには力を注ぎ、「イスラエルの安全」をめざしています。しかしアラブ民衆は、イスラエルに対する公正な裁き、被占領地の返還、パレスチナ問題の解決抜きには、米国やイスラエル・シオニストの夢想を許さないでしょう。ウサマ・ビンラディンの虐殺もまた無法なアメリカの本性を示すがゆえに、アラブの民衆はウサマ・ビンラディンらの反対者であっても怒りを持つでしょう。

 こうした民衆の変革を求める羅針盤のように、パレスチナ解放闘争は今、解放勢力の分裂から統一したパレスチナの再生を宣言しています。パレスチナ解放闘争はアラブ民衆の闘いの反面教師でもありました。今、アラブパレスチナの民衆の蜂起の希望を反映し、統一した民主的なパレスチナ解放・建国へと歩を進めようとしています。利権特権に立つパレスチナ指導部の一部は米国の支援を受けて、希望の再生の闘いに死力を尽くして対決するかもしれません。しかしパレスチナアラブ民衆の願は公正なイスラエルへの裁きと共に富の再配分を含む民主化を求めています。

 リッダ闘争の闘いに湧きたった民衆の声は、統一パレスチナによる祖国解放とパレスチナ建国として、今、よりきびしい一歩を歩きはじめています。このリッダ闘争の39年目に、アラブ民衆の羅針盤として、パレスチナの闘いが育つことを願ってやみません。

 それはまた、3・11大震災によって新しい時代を迎えた日本の再生とつながっています。人災フクシマ原発から平和日本への徹底、脱原発、核も基地も不要な再生日本の道です。それは国民住民主権の力を各地に育て結び合う平和と公正の国際社会への貢献の道でもあります。

 新しい時代を創る人びとと共に! パレスチナに連帯!

 

 

 

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ライラ・ハリド同志の530連帯挨拶

同志たち、友人たちへ

5月30日、若い日本人の解放戦士たちがパレスチナへ命を捧げた日を記念して、パレスチナと離散先で難民を続けるパレスチナ人を代表して、先ごろの東日本災害と原発崩壊の犠牲者や被害を出した家族の皆さんにお悔やみを申し上げます。
 
私たちパレスチナ人は、自然災害であれ占領と同じ人災であれ、場所が何処であれ、人々の苦しみと痛みを共にします。
 
 占領は、その凶悪な表情であるが故に、テロリズムの代表です。そうであるが故に、日本の同志たちは、自分たちの命をも失うだろう武装闘争を含めあらゆる手段で、パレスチナの民衆を支援するのは正義であり合法だと感じとったのです。
 
同志、友人たち
 
 私たちは、この世界のあらゆるところで不正義と対峙しているグローバルな運動の一部です。
 
 私たちパレスチナ人は、占領を終わらせ解放を目指す解放戦士の一翼として残虐なイスラエルの占領と対峙し続けていることを誇りに思います。
 
 解放への大儀は分断されません。何故なら、人類共通の課題だからです。
 
 私たちパレスチナ人は、私たちの闘争に参加し、今も参加し続けている支援者たちに多大な感謝を表明することに誇りを持っています。
 
 あなたたちの支援によって、イスラエルのパレスチナ占領があらゆる暴虐を与えているにもかかわらず、困難な闘いを続ける強さと勇気を更に得ています。
 
 この記念日に際して、私たちパレスチナ人は、引き続く支援へ感謝を表明します。そして、私は、多様なレベルで行われているイスラエルへのボイコット運動に参加するように呼びかけます。それは、経済的にはイスラエル産品の不買運動、学術的にはイスラエルのアカデミーと断絶などです。

解放闘争の戦士たちに栄光を!
 
帝国主義とイスラエル占領に対する闘いを共に!
 
                  あなたたちの同志 ライラ・ハリッド

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岡本公三同志の530メッセージ

530リッダ闘争三九周年記念日へのメッセージ
 
 2011年5月21日 岡本公三
 
 今回、リッダ闘争三九周年記念日を迎えるに当たって、連帯の意志を表明したいと思います。
 
 今年は、3月11日の東北関東大震災をまず第1にあげることができると思います。地震・津波、福島原子炉•の損壊による放射能汚染、この三つが今回の重要なポイントだと言うことが出来ると思います。

 地震については、マグニチュードで、1995年に阪神大震災以来の—それを超えるものでした。

津波については、震源が三陸沖ということもあって、東北地方の太平洋 岸に大きな被害をもたらしました。

三番目の放射能汚染については、アメリカのスリーマイル島レベルを超えたものということが出きると思います。いずれにしても、日本においては最高度の放射能汚染問題ということが出来るでしょう。

いろいろと複雑な事情があるようですが 、「ガンバレ、東北日本!」をエールとして送りたいと思います。

 一方、アラブ世界では、エジプト独裁者大統領のムバラクやリビア独裁者大統領カダフィーの独裁政権が、大衆運動の高揚により退くような流動化情況を呈しています。エジプトのムバラク大統領については永年の独裁で安定したよき社会を創造しようとして来ただけに、流動化情況が生まれるとは想像もつきませんでした。

アルゼンチンのペロン独裁者大統領についても同じことが言えるようです。リビアの独裁者カダフィー大統領については、アメリカ合衆国の制裁処置が大きく影響していると思いますが、隣国エジプトとの関係は今迄通り大きな変化は無いように思えます。

 最後に、今年は、三月、四月にあるはずだった日本からの訪問客も無く、少し寂しい気がしました。若松孝二監督には、来年会えるように、よろしくお伝え下さい。

 ガンバレ東北日本!

 

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